研究者がウィキペディアンになる時
私が名乗っている肩書きの一つに、「ウィキペディアン」というものがあります。ウィキペディアン(Wikipedian)とは、ウィキペディアの編集者(また管理者・運営者など)を指す言葉です。研究者でウィキペディアを執筆している人はあまり多くないので、こう自己紹介をすると驚かれることもあります。
今回は、研究者が自分の分野の記事を執筆するようになったきっかけや、専門分野の記事を執筆する時に考えていることを書きます(ただ、最近私は専門外の記事をよく書いていますが)。
ウィキペディアンになったきっかけ
私がウィキペディアンになったきっかけは二つあります。一つ目は大学の講義です。その講義の先生は、ある分野の英語版Wikipediaの記事を挙げて、これは専門家が執筆したため内容が良く、ぜひ参考にしてほしい、と言っていました。「ウィキペディアは誰が書いたものか分からないから参考にしてはいけない」という言説のもとで育った私にとって、専門家が執筆したウィキペディアのページがあるというのはそれ自体が驚きでした。
二つ目は、コロナ禍で研究室から離れていた時期に、実家の近所の公立図書館によく行くようになったことです。公立図書館のラインナップは、大学図書館とは異なり、一般書や概説書が数多く並んでいます。基礎知識や専門的な訓練がなくてもある程度理解できるように工夫して書かれている本を目の当たりにすると、何のために自分の研究をしているのか、専門知はどうあるべきか、といったことについて色々と考えさせられました。
こうしたきっかけから、アクセスしやすい場所に分かりやすい形で専門知を社会に還元する営みに興味を覚え、ウィキペディア執筆を試してみようと考えました。これがウィキペディア執筆に携わるようになった最初の動機です。
ウィキペディア執筆を始めた当初の感覚
私がウィキペディアを執筆し始めた時、ブログにこんなことを書いていました(引用元)。
- 検索サイトで専門用語を調べたとき、まず出てくるのはWikipediaです。無料で誰もが容易に読めるものですから、これが充実していれば、素晴らしいことこの上ないはずです。
- 「誰が書いたか分からない」ことが問題視されますが、きちんと出典が書いてあれば、Wikipediaの書き手が誰であったにしても、読者はその記述から容易に典拠を調べることができます。
- 「書いても誰かに消される」ことが問題視されますが、容易に前の版に戻すことができます。迷惑行為を繰り返す人はいつか運営にブロックされます。(そもそも、執筆者が少ない中国学の分野で、編集合戦が起こり得る項目は稀かと思います。)
- 中国学研究の良書を、中国学に興味のある一般の方に紹介できる数少ない場所です。こんなブログにちまちま書くより、はるかに影響力があります(自分で言ってて悲しくなりますが)。
- 執筆の際には、基本的なことを辞書的に記述することが求められますから、その項目の内容を改めて体系的に把握することができます。
上記の内容は、今の私の感覚とは少し違うところもありますが、Wikipediaの基本説明としては悪くないものだと思います。この説明を見ても分かる通り、当初の方向性としては、専門的な訓練を受けた者として、自分の専門分野に関わる記事を執筆しようという動機が大きかったです。この頃、執筆の際に気を付けていたのは、以下の三点です。
- 研究者の視点とそうでない人の視点は異なるのであって、記事の内容や章立てを考える際に意識が必要。
- 既に存在する他の記事と内容が重なってしまうことは、説明に必要な事柄であれば、気にしすぎなくていい。
- 良質な本を紹介する場として、優れた役割を果たす記事にするべき。
以下、この三点について具体例を見ながら説明します。
研究者的なまとめ方を避ける
私がウィキペディアンになりたての頃に執筆した『孝経述議』を例とします。『孝経述議』とは、『孝経』の解説書(著者:劉炫)で、中国では伝来が途絶えたものの、日本に伝わって復元された珍しい書物です。この記事は当初、こういう章立てになっていました。
- 概要
- 伝来
- 中国における亡佚
- 日本における受容
- 林秀一による復元
- 内容
- 体裁
- 解釈の特徴
「2 伝来」の章に『孝経述議』の伝来・復元の経緯をまとめ、書物の内容はその次に説明するという形になっています。
この章立てにウィキペディア記法上の問題があるわけではないですが、これがやや「研究者的」な説明の仕方になっていると後から気が付きました。というのも、まず伝来・版本・底本といった書誌学的問題を解決し、次に中身の分析に入るという手順が文献研究の原理原則で、上はその考え方に即した章立てになっているからです。
ただ、一般に、『孝経述議』を初めて知る人が期待する情報は、書物の内容(どんなことが書かれている本なのか)や著者(誰が書いたのか)、またその背景(なぜ書かれたのか)が先の場合が多いでしょう。そこで、章立てを以下のように改めました。
- 成立の背景
- 内容
- 体裁
- 特徴
- 具体的な内容
- 伝来
- 中国における亡佚
- 日本における受容
- 復元
- 経緯
- 用いた資料
- 近年の研究
- 研究史的意義
- 近年の研究の動向
冒頭から読み進めることを考えると、背景・著者→内容という順序で説明すると自然な流れになって理解しやすいです。研究者としては、まず書誌学的問題をはっきりさせておきたくなるのですが、Wikipediaは「研究によってある程度の結論が出ていることを記す場所」ですから、実際の研究手順通りに書かればならないわけではありません。
他記事との内容の重複
たとえば『孝経述議』の背景を書こうとしたら、『孝経』という書物自体の説明や、『孝経述議』が書かれた南北朝時代の学問の状況といった関連事項についてある程度説明する必要があります。しかし、「孝経」や「義疏」といったページは既に存在し、それらと重なる記述をしてよいのか、最初は気になっていました。
あちこちに同じ事項に対する内容の異なる説明があると混乱を招きますし、他の記事により詳しい解説があるのに、読者がその前に探索をやめてしまうかもしれません。説明が詳細か簡潔かという差だけではなく、内容に矛盾が生じてしまうこともありえます。
前提として、執筆前に他の記事に関連する説明がないか探しておくことは必要ですし、その詳細な当該記事への案内を設置するために、テンプレート:see alsoなどがちゃんと用意されています。
ただ、私は同時に、「その事項を説明するために必要な事柄であれば、多少の被りは気にしなくてよいのではないか」と考えています。実際、『孝経述議』の記事では、「御注孝経」や「孝経#日本での受容」への参照を張りつつ、この記事の中で説明が完結するように重複させながら作りました。
理由は、一つの記事の中で説明が完結している方が分かりやすいというのが一つ。小さな項目の執筆であっても、全体の流れを考慮した記事を作るのは専門知識がある人に求められていることとも言えます。また、「重複を気にしなくてよい」というのは、できるだけ簡潔にせねばならない紙の辞書では実現できない、ウィキペディアならではの大きな利点とも言えます。
さて、ここから進んで、私は「あっちの記事とこっちの記事で異なる記述が存在していても、それはそれでいいのではないか」と考えるようになりました。異なる記述があり、それぞれに異なる参考文献が付いている状態は、よく考えてみると、別に悪いものではありません。本来、読者はそこから検証元へと遡り、自分で正しいものを選択すればよいのです。記述がページによって異なることを明示するためのテンプレート:矛盾も用意されています。
もっとも「矛盾だらけの記述は放置しておいてよい」と言いたいわけではありません。バラバラの記述がある中で、多くのユーザーの貢献によって、徐々に真理的状態に収束していくことを目指す、という感覚でしょうか。動的存在であるウィキペディアは、常に改善に向かう過渡期にあると言え、執筆者は(また読み手も)そのことを認識し続けることが重要だと思います。
良質な研究書を紹介する場
ウィキペディアの記事は、良質な研究書のリストを示す場所として有用な場所です。参考文献の一つ一つに解説や概要を付けることはできませんが、使う文献を練ったり、見やすいリストになるように工夫することは可能です。
『孝経述議』では、参考文献の欄を「日本語文献」と「中国語文献」に分けています。更に数が多い場合は、雑誌論文・専門書・概説書などで分け、読者への文献案内としてよりよく機能するように心がけています。
また、参考文献には、その事項を学ぶための適切な書籍を提示することも心がけています。たとえば、中国史関連の記述への出典に、「日本史の専門書で少し触れられているだけの部分が用いられている」ことは非常によくあります。出典を示しているだけで及第点ではありますが、理想的には、そこから文献を辿って調べた読者が、当該の内容に対してより深い知識を得られるような文献を示すべきです。
以上、中国古典研究者である私が、自分の分野のウィキペディアを編集するときに考えていることをまとめてみました。ただ最近は、自分の専門分野に限らず、執筆対象の手を広げており、特にフェミニズム・性的少数者関連の記事を書くことが多いです。このことについては、また考えをまとめたいと思います。
ウィキペディアンという存在
私は、広く「物書き」の界隈の中で、ウィキペディアンを積極的に肯定する言説をほとんど見たことがありません。そもそもウィキペディアは、その特性上「誰が書いても同じになるもの」を目指しており、書き手のオリジナリティを出すことと相性が悪いという側面はあります。たとえば、ウィキペディアンを褒めようとして「オリジナリティ溢れる記事を書いていますね」と言ったら、普通は皮肉としてとらえられるでしょう。「調査が行き届いていますね」「情報が分かりやすく整理してあっていいですね」と言えば誉め言葉になります。替えの利かない文章の書き手、個性豊かな創造物が評価される世界で、ウィキペディアンの営みは対極にあると言えるのかもしれません。
ただ、ウィキペディアを書くにしても、考えることは色々あるし、手間もかかるし、そこには確かに「物書き」の実践があります。ろくでもない記事がある一方で、たくさんの素晴らしい記事があり、そこには「替えが利かない」ウィキペディアンたちの貢献があります。ウィキペディア執筆を続けていると、記事を見て、「ああ、たぶんこの記事はあの人が書いたんだな」と見当がつくこともあります。
確かに、ウィキペディアには酷いところがたくさんあります。不確かな情報がたくさん載せられているし、差別発言や誹謗中傷の温床になることもあります。システムが完璧であるとも到底言えません。それは何とかしなければいけないことです。でもそれは、他の「物書き」の界隈も同じですよね。
私は、ウィキペディアンの実践は、物書きの実践として語る余地が開かれていると思います。そしてその語りは、「個性」と消費主義・商業主義が結び付けられるようになって久しい「物書き」の潮流に対する、一つのカウンターになる可能性があると感じています。