修士課程のとき、大学の演習で阮元(1764-1849)の文章をよく読んでいた。阮元は、王朝の官僚として辣腕を振るった政治家であると同時に、豊富な知識を持った学者としても知られる。官僚としての地位を活かし、多くの学者を動員して『経籍籑詁』『十三経注疏』『皇清経解』といった大部の辞書や総集を作った人であり、中国古典の研究をする人にとってはなじみ深い名前である。今回は、阮元の文集である『揅經室集』(四部叢刊本)に収められている「塔性説」を読む。
「塔」という漢字の由来
この文章は、もとサンスクリット語で書かれていた仏典が、漢文に翻訳された時に生じた問題について扱うもので、清代に書かれた一種の翻訳論として見ることができる。
後漢の時代、仏教の教えを説いた人を「浮屠」(ブッダ)と呼んだが、その人が居て崇拝される場所は、また別物としてあった。ある説では、七層・九層あり、各層に梯子や欄干があって、高さは十数丈(30メートル以上)ある。サンスクリット語ではこれを「卒(窣)堵波」(stūpa、ストゥーパ)と呼ぶ。晉・宋・後秦の頃に仏典を翻訳する者は、この「卒堵波」を取り上げて、同じ物を中国で求めたが、物にも文字にも当てはめられるものがなかった。似たものでなぞらえて、「臺」と訳すことはできるかもしれない。しかし「臺」はそれほど高く奥妙なものではない。そこで、新しく「塔」という字を作って「卒堵波」の訳として当てた。(これによって)決して「臺」と混同されることはない。「塔」は他と異なり高く「塔」であって、「臺」もやはり「臺」であることを失わない。(*1)
仏教はインドで生まれ、その経典はサンスクリット語で書かれていたが、これが中国に流入した時に漢文に翻訳された。漢文とサンスクリット語とでは、文字・音韻の体系や意味概念が全くの別物である。そこで、仏典を漢文に翻訳するために、「①音を取って漢字を当てる」「②意味の近い漢字で翻訳する」「③仏典翻訳のための新しい漢字を作り出す」といった手法が用いられた。
ここで阮元が挙げた例は、「stūpa」というサンスクリット語の翻訳について。①の音訳では「卒堵波」と当てられるが、③から「塔」という新しい漢字が作られ、翻訳として用いられることになった。音の一部を取った「荅」に土偏を付けて意味を示して「塔」となる。阮元は、「stūpa」に②から意味を取って漢字を当てる例として「臺」を挙げ、しかし「臺」では微妙に原義と異なると否定する。阮元は、新字「塔」を作ったことで「臺」と「塔」は混同されることなく、ともに原義を保つことができたと評価する。
「塔」という字は現代のわれわれにとっては見慣れた字だが、漢字としては新しい方で、仏典の翻訳の際に作られた字(とはいえ5~6世紀のこと)。ちなみに「stūpa」を意味から訳す場合は「方墳」とする。ただ、「塔」の字はよほど馴染んだらしく、当時の人でも古くから中国にある漢字だと誤認されることがあった(船山、2022)。なお、仏典の翻訳の際に作られた新字として、他に「魔」「刹」「鉢」「袈」「裟」「僧」といった例がある。
「性」の場合
以上は「塔」に関する議論。「塔」「性」説という題が示す通り、もう一つの主題である「性」字に関する議論が以下に続く。むしろ、阮元の主眼は「性」の方にある。
「性」字の翻訳については、事情が異なる。仏教徒の説では、ある物があって、これは人が生まれる前の時から備わっていて、澄み切って霊妙で、光が静かに照らすもので、人はこれを受けて生まれる。私欲によって見えなくなるかもしれないが、きっと身を静謐にして心を修養すれば、その後に父母が自分を生む前の本来の状態をまた見ることができる。これは何と名付けられようか。いや、名付けることはできない。たとえサンスクリット語に呼び名があるとしても、やはり「卒堵波」というようにただ音によって呼ぶことが一番だろう。晉・宋・後秦の仏典翻譯者は、この物を取り上げて、中国の経典の中で同じ物を求め、一つ「性」の字が近いようであった。その時の経書の中の「性」字には近くなくても、その時の老荘の書物の中の「性」字には近かったのだ。(*2)
阮元はまず、仏典において「性」に訳されるもとの概念を説明する。阮元によれば、この概念は「卒堵波」のように音訳するしかないもので、経書(儒教経典)における「性」とは遠くかけ離れている。一方で、老荘の「性」に少し似ている(が異なる)ものであった。
これは、喩えるなら「臺」字を「卒堵波」の訳に当てて、別に「塔」字を作らなかったようなものだ。新しく字を作らなかった理由は、この頃の中国の文人はすでに経典の「性」字を尊重しており、尊重されていたという点で「性」字を採用したのだ。しかも老荘の書の中の「性」字の理解は、仏教でいう「呼びようがないもの」のほどには奥妙なものではなく、老荘の書における「性」字の理解は奥妙を尽くしたものとは言い難い。ましてや儒教経典とはなおさら関係がない。(*3)
先の「stūpa」は、「塔」という新しい字が当てられたため、既存の概念と混同されずに済んだ例。阮元は、「性」の場合はこの逆だと言う。つまり、本来、仏典において「性」に訳される概念は、漢字では訳し得ないものなのだが、仏典のその概念と老荘の「性」が似ていたことから、「性」と訳された、と阮元は考える。
仏教は心を明らかにし、そこに物の本源にして高明浄妙なるものを見た。ただ惜しむらくは、翻訳者が別に漢字を作って「呼びようがないもの」に当てることをせずに、老荘の「性」字に当てはめてしまい、「塔」を新しく作ったような分別がなかったことが残念だ。(*4)
「塔性説」はこれで終わり。阮元の含意は、この後に「性」字が独り歩きし、もともと関係のない儒教経典における「性」字も仏教的な概念で理解されたことを批判する点にある。阮元が直接批判するのが、李翺「復性書」だが、ここから朱子学にかけての「性」の概念を暗に批判するところもあろう。朱子学に華厳経が影響を与えているというのはよく指摘されているところ。ここから、儒教・老荘における「性」の原義は何なのかという疑問を探求したのが阮元の「性命古訓」であるが、今回は省略する。
儒教経典における「性」の意味を説明するのは難しい。ただここでは、セクシュアリティに関する意味の「性」ではなく、性善説・性悪説などと言うときの、本性・性質・性格といった意味合いでの「性」であることを押さえておけばよい。
以上、阮元の議論は、翻訳によって流入した新しい概念と、以前から存在する概念の重なり合いや影響関係を議論したものとしてまとめられる。ただ、やや単純かつ排他的なきらいがある文章ではある。
王国維のコメント
清末の学者の王国維も、阮元の「塔性説」に言及している。
昔、阮元は「塔性説」を著し、以下のように述べた。仏典の翻訳者が、中国の古典の「性」の字によって、仏典にある漢語では称することのできない概念に当てはめ、更に唐代の人は経書の中の「性」の字に仏教での「性」の概念を当てはめた。翻訳者は、古語の中に存在しない新たな意味に遭遇したなら、必ず新たに字を創作せねばならず、似て非なる古語を訳語として襲用してはならない、と。(*5)
これは王国維がショーペンハウアーの影響を深く受けて記した「釈理」という文章の冒頭(『王国維遺書』所収『静安文集』)。以上は阮元の主張の要約として的を射たものと言えよう。王国維はこう続ける。
これは正しいが、しかし言葉の意味の変遷は、ただ外国から新たな意義が輸入された後にだけ起こるというわけではない。我々は様々な事物に対して、その共通性を発見し、そのままそれを抽象化し、一つの概念となり、またそれに従って名称を与える。その名前が長く用いられると、その概念を一つの特別な事物とみなすようになり、そのもとの出どころは忘れられる。(*6)
王国維は、言葉の意味の変遷は外来文化との接触(阮元の例では仏教受容)だけを要因として起こるものではなく、より普遍的に見られる現象であると説く。ここから王国維は、中国における「理」という概念の意味の変遷を、ショーペンハウアーによる理性についての議論(充足理由律や理性・悟性・感性などの議論)と重ね合わせながら整理することになる。
翻訳と音訳
阮元の議論は単純で物足りないところはあるが、翻訳についての考えを深める糸口になるものではある。以下、まとまりのない文章になるが、関連して考えられることをメモしておきたい。
たとえば、新字や音訳で翻訳するという仏典漢訳の営みからは、日本語における外来語のカタカナ使用を「日本語特有」また「日本的」であるとする議論が短絡的なものであると分かる。訳しようのない概念を原語に近い形でそのまま翻訳するという方法は、古くから他の文化圏でも採用されてきた方法である。
「性」字の話からは、翻訳の際の言葉選びの問題によって、もとの言葉のニュアンスが上手く伝わらず、意義が損なわれてしまうという現象を思い起こす。最近議論の俎上に上がったのは「reasonable accommodation」の訳「合理的配慮」である。これは、障害の社会モデルに基づき、社会の側の障壁によって障害を受けている人々に対し、その権利を回復する措置を指す語で、2024年の法制化とともに注目された。ただ、特に「配慮」の語が日本語の意味からすると合わないし、「合理的」も意味がとらえにくい。大学の障害者支援関係の施設のホームページを見ると「合理的調節」や「積極的理解と対応」と言葉で補われている。また、誰が言っていたのか忘れてしまったが、「然るべき調節」という訳が適切だという意見も見たことがある。
また、阮元の主張とは異なるが、新字が使われたからと言って、翻訳された文化圏と切り離されるというわけでもない。それはカタカナ語で翻訳されがちなアイデンティティ・ワードのことを考えると分かる。英語の「bisexual」が日本語の「バイセクシュアル」に翻訳されて輸入された時から、日本語の中でのバイセクシュアルの歴史の蓄積は、英語とは重なり合いながらもまた別に存在しているはずだ。
阮元の議論を見て分かることは、こうした問いかけが古くから蓄積のある普遍的なものだということ。古人の格闘の痕跡を辿ると、意外な共通項を見い出せるものだ。
- 「東漢時、稱釋教之法之人皆曰「浮屠」、而其所居所崇者、則別有一物。或七層九層、層層梯闌、高十數丈。梵語稱之曰「窣堵波」。晉宋姚秦間、翻譯佛經者、執此「窣堵波」、求之於中國、則無物無文字以當之。或以類相擬、可譯之曰「臺」乎。然「臺」不能如其高妙、于是別造一字曰「塔」以當之。絶不與「臺」相混。「塔」自高其為塔、而「臺」亦不失其為臺。」
- 「至于翻譯「性」字、則不然。浮屠家説、有物焉、具於人未生之初、虚靈圓淨、光明寂照、人受之以生。或為嗜欲所昏、則必靜身養心、而後復見其為父母未生時本來面目。此何名耶。無得而稱也。即有梵語可稱、亦不過如「窣堵波」徒有其音而已。晉宋姚秦人翻譯者、執此物求之於中國經典内(原注:『經典釋文』所謂「典」者、老莊也。)、有一性字似乎相近。彼時經中「性」字縱不近、彼時典中「性」字已相近。」
- 「此譬如執「臺」字以當「窣堵波」、而不別造「塔」字也。所以不別造字者、此時中國文人已羣崇典中之「性」字、就其所崇者而取之。且若以典中「性」字之解、不若釋家無得而稱之物尤為高妙、典中之解「性」字、未盡其妙也。然而與儒經尚無渉也。」
- 「佛經明心而見之物原極高明淨妙。特惜翻譯者不別造一字以當其無得而稱者、而以典中「性」字當之、不及別造「塔」字之有分別也。(原注:此與莊子復初之性、已為不同。與召誥孟子之性、更相去萬里。)」
- 「昔阮文達公作《塔性説》,謂翻譯者但用典中「性」字以當佛經無得而稱之物,而唐人更以經中「性」字當之,力言翻譯者遇一新義為古語中所無者,必新造一字,而不得襲用似是而非之古語。」
- 「是固然矣,然文義之變遷,豈獨在輸入外國新義之後哉。吾人對種種之事物而發見其公共之處,遂抽象之而為一概念,又從而命之以名,用之既久,遂視此概念為一特別之事物,而忘其所從出。」
- 船山徹『仏典はどう漢訳されたのか――スートラが経典になるとき』(岩波書店、2013)
- 船山徹『仏教漢語 語義解釈―漢字で深める仏教理解』(臨川書店、2022)
- 喬志航「王国維と「哲学」」(『中国哲学研究』20、2004)
- 「06 合理的配慮!? 積極的理解と対応」九州大学社会包摂デザイン・イニシアティブ、2024.11.22閲覧
- 「合理的配慮とは・・・」名古屋大学 学生支援本部アビリティ支援センター、2024.11.22閲覧