「川上の嘆」の二つの解釈
『論語』子罕篇には、「川上の嘆」として知られる有名な一節がある。
子在川上、曰、逝者如斯夫、不舍晝夜。(子 川の上に在り、曰く、逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず。)
「孔子は川のほとりでこう言った。過ぎ去っていくものは、川の流れと同じようなものだ。昼も夜も止むことがない。」
「川上」は川の上流という意味ではなく、川のほとりという意味。「不舍晝夜」は「晝夜を舍(お)かず」(昼夜に例外はない)とも「舍(や)めざること晝夜なり」(昼も夜も止まることはない)とも読むが、意味は似たようなもので、昼も夜もいつでも川は流れ続けている、ということ。
孔子はこの短く単純な言葉で、何を伝えたかったのだろう。歴代の読み手の解釈は大きく二つに大別され、しかも一つは悲観的な解釈、もう一つは楽観的な解釈と、全く異なる方向性で理解されている。
悲観的な解釈
まず、悲観的な解釈から見てみよう。後漢の鄭玄という学者は、以下のように述べている。
人が年老いることが、川が流れ行くようなものだと言う。孔子は、道があるのに(道に則った政治が行われているのに)自分が君主に任用されないことを悲しんだのだ。(*1)
鄭玄の解釈では、「川上の嘆」は孔子が時の経過を嘆き、年老いても君主に任用されないことを悲しんだ言葉であるということになる。東晋の孫綽の説もこれとよく似ている。
川の流れが止まらず、年月が過ぎゆくことは止まらず、時がもうずいぶん経つのに、道はまだ興らず、だから憂い嘆いたのだ。(*2)
梁の皇侃の解釈もこれと響き合う。
孔子は川のほとりにいて、川の流れが激しくて止むことが無い様子を見て、人が年老いることもこのようで、以前の私が今の私ではないことを悲嘆し、よって「逝く者は斯くの如きか」と述べた。(*3)
ただ、聖人と名高い孔子が、こんな俗人的な嘆きを漏らすことに対して、引っ掛かりを覚える論者もいたらしい。孫綽と同時代の江熙はこんなことを言っている。
その意味は、人は南山(のように変化のない存在)ではないので、道徳や功績を立てて、時が過ぎゆくことを眺め、川の流れに臨むと思いが湧き上がり、感慨にふけらないことがあろうか(いや、感慨にふけるものだ)。聖人は、衆人の心を自分の心とするのだ。(*4)
「南山」とは、古くから信仰を集めた終南山のこと。この一段の前半は孫綽・皇侃と同じ解釈だが、最後の言葉が意味深である。これは『老子』第四十九章「聖人無常心(*5)、以百姓心爲心」に基づく言葉で、聖人には固定した心がなく、世の中の人々の気持ちを自分の気持ちとして考える、という意味。つまり、確かに孔子は悲しんでいるけれども、これは世の中の普通の人々と同じように敢えて悲しんで見せただけで、本来は無心の存在である、と江熙は解釈した。この説は、俗人的な悲しみを覚える孔子像と、衆人とは異なる聖人としての孔子像を調停するために編み出されたものであろう。
このように細かく言えば若干の相違はあるが、大きな傾向として、後漢から六朝時代の学者は「川上の嘆」は孔子が時の経過を悲嘆する場面として理解する。この解釈は、鴨長明『方丈記』が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」から始めて世の無常を儚むことと重なり合う。
実際、川の流れを見て、世の無常を感じて儚く思う気持ちは、現代人にも掴み取れる感覚であろう。井筒俊彦は「川上の嘆」についてこう述べている。
この言葉を読みますと、言いようもない悲しみが心に染みわたりそうになります。存在するあらゆるものは、流れの水と同じように、一瞬たりとも止まることなく、終わりへと向かって、死と絶望へと向かって過ぎ去っていきます。ふつうの人間であれば、ここに全ての事物の儚さの表現を見ることでしょう。悲しい諦めの気分で、彼はこの言葉のうちに、存在の悲劇の象徴的な表現を見てとることでしょう。
井筒俊彦『東洋哲学の構造 : エラノス会議講演集』(澤井義次監訳、金子奈央・古勝隆一・西村玲訳、慶應義塾大学出版会、2019、p.291)
川の流れは止むことがなく、刻々と変化し、二度と元には戻らない。あらゆる存在が死へと向かって変化し続けることの象徴がそこにある。こう解釈するのが「川上の嘆」の一つの読み方だ。
楽観的な解釈
しかし、中国古典の歴史を紐解くと、この一段を楽観的に、力強く読む解釈も存在する。井筒は、上の文に続けてこう述べている。
それとは反対に、『論語』のより一般的な文脈において、この一章は、存在の儚さや脆さといった感情を示唆するものではありません。むしろそれは、何かしら積極的なものの表現です。それは「天地」の働きを克明に描写したものなのです。
『東洋哲学の構造』p.291
その一例が、宋代の朱熹の解釈。朱熹はいわゆる「朱子学」の体系を作り上げたことで知られる学者である。
天地の生成変化は、往くものが過ぎ行き、来るものが続き、ちょっとの間も止まることがない。これこそが、道の本体の本来の状態である。しかし、それ(道の本体)を指で示して見やすいものは、川の流れが一番である。それゆえ、ここで言葉に発して人に示し、学ぶ者に常にこのことを反省させ、少しの隙間もないようにさせようとしたのである。(*6)
朱熹は、川の流れを万物の生成変化、つまり「道」の象徴として読み取り、ここから学問を志す者が常に我が身を振り返るように戒める言葉であるとする。この解釈では、孔子は時の経過を嘆いているのではなく、絶え間ない川の流れに道の真理を見い出し、これを自己修養の方法論につなげて理解する。
実は、川の流れや水のはたらきを前向きに解釈する方向性も、中国古典の世界では古くから試みられてきており、朱熹はそれを受け継いだに過ぎない。その代表例が『孟子』離婁下の以下の一段である。
徐子曰「仲尼亟稱於水、曰「水哉、水哉」、何取於水也」。孟子曰「原泉混混、不舍晝夜。盈科而後進、放乎四海、有本者如是、是之取爾」。
徐子が「孔子はしばしば水を称して「水よ、水よ」と言いますが、何を水に譬えたのですか」と問う。孟子は「源泉がこんこんと湧き出て、昼も夜も止むことがない。水の流れは窪みを満たして後に四海に進む。根本があるものはこのようである、ということを喩えたのだ」と答えた。
『孟子』の原文には「不舍晝夜」とあり、この問答は明らかに『論語』の「川上の嘆」をもとにしている。孟子は川の流れや水の働きが「根本があるもの」の象徴であるとして、孔子の発言を理解している。ここにも、悲嘆に暮れる孔子の姿は出てこない。
さらに、『荀子』 宥坐篇の一段も似た方向性。
孔子觀於東流之水。子貢問於孔子曰「君子之所以見大水必觀焉者、是何。」孔子曰「夫水遍與諸生而無為也、似德。其流也埤下、裾拘必循其理、似義、其洸洸乎不淈盡、似道。……是故見大水必觀焉。」
孔子が東に流れる川を観察していると、子貢が孔子に「先生は大河を見ると必ず観察しますが、それはどうしてですか」と問う。孔子は「水があまねく万物を生かし、かつ作為がないのは徳に似る。水の流れが下方に向かい、曲がっていても地面の筋目に従うのは義に似る。水が滾々と湧き出して尽きないことは道に似る。……よって孔子は大河を見ると必ず観察する」と答えた。
こちらは「川上の嘆」と完全に重なる言葉は出てこないので、この『荀子』に載る逸話を「川上の嘆」の直接的な解釈として見てよいかは判断が分かれるだろうが、孔子が川や水のはたらきをどう捉えたか、を示唆するものとしては参考になる。ここで孔子は、水のはたらきを、徳・義・道の性質に喩えて提示していく。さらに、省略した箇所では、勇・法・正・察・善化・志の性質とも重ね合わされている。ここでは、川の流れから世界の本質を見て取り、それを物悲しむというより、そこに積極的な意味を見い出そうとする方向性が示されている。
井筒・蜂谷の解釈
一旦まとめておくと、「川上の嘆」の逸話を悲観的に解釈したのが鄭玄・孫綽・江熙・皇侃らで、楽観的な解釈をしたのが孟子・荀子・朱熹らである。この解釈の方向性の差を、近年の学者はさまざまな観点から論じている。
たとえば、先にも挙げた井筒俊彦は、「儒教哲学の世界観を特徴づける、根本的な楽観主義」(p.290)を指摘し、この『論語』の一段はこの文脈から理解するべきとする。井筒によれば、儒教の楽観主義と対照的なのが仏教であり、仏教は普遍的な変化の否定的側面を認識することに出発し、儚く無情な存在性が基礎となる(pp.257-258)。しかし儒教はそうではない。井筒には以下のように述べる。
この学派の哲学者が採る楽観的な態度は、時間的なものはそれ自体の中に、非時間的なものを持っており、むしろ時間的なものこそまさに非時間的なものであるという哲学的信念に基づいております。変わり続ける世界それ自体が、永遠に変わらないものなのです。そのとき、絶え間なく変わり続ける万物を見て、哀れに思い悲しくなる理由が、彼らにはありません。
『東洋哲学の構造』p.290
ほかに面白い解釈を示しているのが蜂谷邦夫。蜂谷は、『方丈記』で言われる川と、孔子が目の当たりにした雄大な川には相当な隔たりがあると指摘する。そして、中国の川の雄大さは、人々を元気づけ、行動の規範となるものとする(『中国の水の思想』法藏館、2022、p.29-30)。つまり、蜂谷は中国の川の実景を思い浮かべて、孟子・荀子的な楽観的な解釈を取るわけだ。確かに、鴨長明が見た小川と、海のように大きな中国の川では、川に臨んだ時の感慨も違ったものになるかもしれない。小川は大雨で流れもすぐに変わり、旱魃で消滅することもあるが、大河はもう少し恒常的なものである。
『論語』の「川上の嘆」は短文ながらさまざまな解釈が存在する。こうした解釈の相違と変遷、その背景や各人の意図を探求する学問分野を「解釈史」「思想史」と呼ぶ。以上から、私が研究していることについて少しイメージを掴んでいただければ嬉しい。
異なる解釈があるということ
以上を見ると分かるように、同じ書き手の同じ文章でも、読み手が異なれば、そこからどういう意味内容を見い出すかは異なる。人がそれぞれ固有の経験を持つ存在である以上、解釈は読者の数だけ存在するからだ。その意味では、読者の一人一人の中に異なる「孔子」がいるのであって、「同じ書き手」という前提条件も疑問に付されることになる。すると変わらないのは文章だけなのか。いや、テキストが現代まで伝えられた歴史を考えると、文章の不変性というのもまた虚構に過ぎない。文字も、解釈も、川の流れのように移ろいゆき、変化し続けるものである。
川の流れは絶えず変わりゆくが、その過程で土地を削り取り、地形を変える。文字や解釈も、川のように移ろいゆく中で、確かに社会を変える力を持っている。同じ言葉でも、発言者が変われば、文脈が変われば、新しい意味を持つ。社会にどういう川の流れを作るかは、われわれ一人一人に委ねられている。
- 「言人年往、如水之流行。傷有道而不見用也。」(敦煌本)
- 「川流不舍、年逝不停、時已晏矣、而道猶不興、所以憂嘆也。」(論語義疏、龍谷本)
- 「孔子在川水之上、見川流迅邁未嘗停止、故嘆人年往去亦復如此、向我非今我、故云逝者如斯夫也。」(論語義疏、龍谷本)
- 「言人非南山、立德立功、俛仰時過、臨流興懷、能不慨然乎。聖人以百姓心為心也。」(論語義疏、龍谷本)
- 「聖人無常心」を「聖人常無心」に作るテキストもある。前者は王弼注以来の伝世文献のテキスト、後者は馬王堆帛書。
- 「天地之化、往者過、來者續、無一息之停、乃道體之本然也。然其可指而易見者、莫如川流。故於此發以示人、欲學者時時省察、而無毫髮之間斷也。」(四書集注、呉志忠本)
- 井筒俊彦『東洋哲学の構造 : エラノス会議講演集』(澤井義次監訳、金子奈央・古勝隆一・西村玲訳、慶應義塾大学出版会、2019)
- 蜂谷邦夫『中国の水の思想』(法藏館、2022)
- 福谷彬『南宋道学の展開』(京都大学学術出版会、2019)
- 吉川幸次郎『論語』上・下(朝日新聞社、1996)