閑閑空間
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東京暮らしと食堂という場所

2024年12月(元記事(吉田寮紹介パンフレット2024、文責:silly)をそのまま掲載。

 去年の四月に寮を出て、今は東京で暮らしている。寮を出てよく思い出すのは食堂のことだ。甘く香るシーシャ。知らない誰かが淹れた珈琲。余った食材を交換して生み出される料理。多分あいつが流したFishmans。劇団が残していった謎の衣裳。捨て置かれているけど意外といい音が鳴る楽器。勝手に物を出して、勝手に片付けて、また巨大な舞台が設置され、解体され、百人以上の人が踊り狂っていたかと思ったら、自分一人になったりする。とにかく目まぐるしく移り変わり、さまざまな人が交差する空間。それが食堂だ。

 もともとは受験生向けに、「吉田寮食堂においでよ」みたいな記事を書こうと思っていた。でも、たまに楽しく遊びに行くだけで、その場を続けるためのコストを担わなくなった自分は、「食堂においでよ」なんて気軽に言えないと思った。だから、東京で暮らしながら食堂という空間について考えたことを書いてみようと思う。

 当たり前だけど、東京での生活は、吉田寮とは違う。一言で言えば、仕事・生活・娯楽・運動の場が分断されていて、見えない誰かの手のひらの上で踊らされているかのような気分になる。もちろん東京にも、すごい努力の下で続いてきた「いい場所」はたくさんあるのだけど、「○○をするためには△△に行かなきゃいけない」という前提はあまり変わらない(*1)。たとえば、明日は無政府主義おでん会(?)という楽しそうな会に行く。寮なら食堂でできそうなイベントなのに、こちらでは家から片道一時間以上かけて電車に乗って行かないといけない。また、東京では自分で企画や準備をして場を作ることのハードルもぐんと上がる。普通は場所を借りるだけでお金がかかってしまうからだ(*2)。

 こんな日常を送っていると、地に足が付いた「生活」(必ずしもそこに住んでいるかどうかではなく)をともにしながら、何となく色々な人が集まって、言葉や音楽・観劇・食事・肉体労働(準備や後片付け)などを経由して、人々が通じ合ったり通じ合わなかったりする、食堂という空間の得難さを改めて実感する。

 生活とそれ以外の場所が分断されていると、相手もどこかで生活している一人の生身の人間であるというとても大切なことが、忘れられたり、意図的に無視されたりする状況になりやすい。そして世の中の悲しい出来事(たとえば誹謗中傷など)は、そういう時に起こりやすい、と私は思っている。だから生活と結びつきながら人の集まる場所を作れる食堂という場所は本当に貴重だと思う(*3)。

 食堂では誰もがやりたいことをできる、とは言わない。確かに金銭面のハードルは下がるけど、話し合いへの参加のハードルは人によって違うからだ。話し合いに参加する時間を捻出できない人もいるし、非日本語話者などが話し合いに参加しやすい状況が作れていないことが多いし、また寮生が「有利」な立場にあって対等な話し合いにならないこともある。誤解なきように書いておくと、食堂使用者会議には誰もが出席でき、出席者の立場の差はなく、委員長みたいな存在もない。「有利」と書いたのは、寮生はそこに住んでいるので会議に参加しやすく、また自治会内部の手続きや人間関係を熟知しているので権力的にも有利に立ちやすい、ということを指している。その分、引き受ける負担も寮生が多くなりやすい面はあるが、重い負担を引き受ける寮外生や元寮生も多くて、とにかくそういう負担を引き受けるさまざまな人の手で食堂は続いてきた。

 いま「負担」と一言で書いたけれど、振り返って考えると、これがとても難しい。人によっては軽い負担が、別の人にとっては重くのしかかることもある。楽しい負担もあるし、楽しくない負担もある。楽しみながら負担をこなしていると、周りからは負担を負っているように思われなかったりもする。また、皿洗いや後片付け、日常の清掃など、(特に男性中心的な社会の中で)軽視されてきた負担は、不当に軽く見積もられることもある。他にも、その負担自体はやりたいと思っていたけど、他人に雑に押し付けられてやる気が削がれる、みたいなこともある。

 結局のところは、そこまで無理なくできるという人が(言い換えれば何かしらの特権がある人が)、自主的に力を持ち寄って解決していくしかない、という当たり前の結論になる。たとえば、食堂で差別的な会話が繰り広げられていて、誰かが止める必要があるとする。そういう時には、他の人に比べて一言物申しやすい立ち位置の人(当人と面識があって話しやすい人だったり、声が大きい人だったり、なんとなく権威的な雰囲気を醸す人だったり、場合によってそれぞれだが)が止める役目を担うと、みんな少し楽になるのかなと思う。もちろん誰かが止めるべきで、誰が止めてもいいというのは前提だけど。

 ......と、偉そうなことを言いつつ、私自身は、寮生の時、そんな食堂のすぐ側で寝泊りし、会議にも出やすく、おそらく割と色々な人に意見を言いやすい立ち位置にいながらも、きちんと矢面に立つことができていなかった自覚がある。徹底的に話し合うべきところで、もう諦めるか、と匙を投げてしまったこともある。最後まで話し合ってちゃんと言葉にするという作業を怠ってしまった。また、イベントのたびに「ハラスメントを見かけたら云々」と注意書きを書いていたけれど、アリバイ的に書くだけになってしまっていて、イベントに水を差さないために泣き寝入りした人がいたかもしれない、と考えることもある。今になってこんなことを書くのは、あまりに遅いのだけど、後悔することはたくさんある。せめてもの贖罪として、ここに言葉にしておきたい。

 食堂は、今の社会の秩序や規範から、ある程度(完全にとは言わない)解放される場所で、だから居心地が良かったし、呼吸がしやすかった。食堂ほどの規模感や利便性を持ちながら自治的に運営されている場所は、現代社会の中でどんどん息絶えつつあるようだ。でも、息を吹き返したのかなという場所もある(西部講堂とか)。闘い続けている人たちに感謝したい。

 もし吉田寮に食堂という場所がなかったら、どうなっていただろう。自分の特権に気が付かない京大生の溜まり場になっていたかもしれない(今もそういう面はあるが)。現棟は十年ちょっと前に潰されていたかもしれないし、新棟はなかったかもしれない。新棟があったとしても、全個室型のオールジェンダートイレはなかったかもしれない。こんな想像をしても仕方がないけど、一つだけ確実なことは、食堂という場所がなかったら、私はこんなに吉田寮に愛着をもつこともなかっただろうな、ということである。

 去年のパンフを読み返していると、私は編集後記の寄せ書きで、「人が集う限り、この場所はあり続ける!」と書いていた。しょうもない裁判の結末は分からないし、結局大学はこの場所を潰しにかかるのかもしれない。でも、人が集う限り、食堂は続くし、食堂は作れる、と信じていたい。そして私は食堂に遊びに行き続けようと思う。私には食堂が必要だからだ。吉田寮なんて興味がないし入るつもりもないという人も、ぜひ食堂に来てほしい。というか、私と一緒に行こう、食堂に。BIG LOVE!!食堂!!!!

注釈
  1. と言いつつ、「○○をするためには......」でとりあえずの行き先が見つかるだけで、東京に住めることの特権性をめちゃめちゃ享受していることも確かだ。たとえば、全国ではほとんど上映されてない映画も、東京なら数館で上映されていたりする。図書館もめちゃめちゃあるし、小さい個人の店も(減少傾向であるとはいえ)地方に比べればはるかにたくさん生き残っている。
  2. 去年八月、IRA TOKYOで吉田寮の写真展を開いたが、これも奇跡的なご厚意で無料で場所を貸していただいたから成立した場である。
  3. この前、「うかうかと終焉」という吉田寮を(勝手に)モデルにしたひどい映画を観たけれど、奇天烈な寮生のノリや青春キラキラストーリーが強調され、食堂的な空間は出てこなくて悲しかった。この映画は他にもひどくて悲しいところがありすぎてここには書ききれない。