ベンヤミンから見る吉田寮
とある元寮生から、ベンヤミン著・鹿島徹訳『[新訳・評注]歴史の概念について』(未来社、2015)という本を紹介され、読んでみたところ、たいへん深い感銘を受けました。折角の機会ですので、吉田寮の自治と絡ませながら、ちょっとした読書感想文を著してみようと思います。
この本は、ベンヤミンの『歴史の概念について(歴史哲学テーゼ)』の全訳と、それに対する鹿島氏の解説からなっています。ベンヤミンの言葉は非常に簡潔でありながら力強く、文字列を追うだけで鼓舞されるようなところがあります。たとえば以下のテーゼの言葉は、吉田寮に入寮することで何かしらの変化を覚えた自分の実感をよく言い当てています。
抑圧された人びとの伝統は、いまわたしたちの生きている〈例外状態〔非常事態〕〉が、じつは通例の状態なのだと教えてくれる。この教えに応えるような歴史の概念を手に入れるよう、わたしたちは迫られてる。それを手に入れたとき、真の意味での例外状態を招来することが、わたしたちの課題としてはっきり示されるだろう。
テーゼⅧ、p.53
ここでベンヤミンが言う「いまわたしたちの生きている非常事態」とは、ベンヤミンが生きていた当時、第二次世界大戦が勃発し、ユダヤ人であるベンヤミンがドイツから追われる身になり、最後は自死に至ったような事態です。私の場合は吉田寮に入寮することで、抑圧を受けている場、そしてその伝統がある場に入ったということになりますが、こうした場に入ると、現代社会の中には抑圧された立場にある人が通例の状態としてたくさん存在しているという当たり前のことを改めて理解させられます。
また、ベンヤミンは、よくある歴史の叙述が「勝者に感情移入している」ものだとし、そうした態度はその時の支配者の役に立つ行為であると指摘した後、以下のように述べます。
今日にいたるまで勝利をさらった者はだれであれ、いま地に倒れている人びとを踏みにじりながら今日の支配者がとりおこなっている祝勝パレードの列に加わって、ともに行進しているのだ。これまでの慣例のままに、そのパレードには戦利品も一緒に引き出されてゆく。その戦利品は文化財と呼ばれる。……このようなものが存在しているのは、それを創造した偉大な天才たちの労苦だけではなく、かれらと同時代の人びとの言いしれない苦役のおかげなのである。それが文化の記録であることは、同時に野蛮の記録でもあることなしにはありえない。
テーゼⅦ、pp.51-52
野蛮の記録が祝勝パレードに取り込まれる―歴史が支配者に取り込まれる―とは、どういうことでしょうか。たとえば、いつか吉田寮がなくなる時、大学当局は「これまで吉田寮自治会を自称する団体によって不正常な運営がなされていたが、今後は大学が責任持って適切な運営を行う」だの、「不法占拠状態を是正し、法的手続きに則って事後処理を行う」だの、好き放題に言うでしょう。もしくは、自分たちが潰したことさえ語らず、「かつてこんなものがありました」と吉田寮のパネル展示でもするのかもしれません。そして、何も知らずに冷静ぶった知識人は、「なくなるのは悲しいけど、寮生にも悪いところがあったよね」とか、「これも時代の流れだよね」なんてうそぶくものです。
こうして、吉田寮に関わるすべての人々の行動と記憶は、支配者側のストーリーに取り込まれ、誰からも忘れ去られて消えてゆく……吉田寮はそんな未来を辿るのかもしれません。 しかし、ベンヤミンはこうも言っています。下に二つのテーゼの言葉を引用します。
年代記作者は、出来事に大小の区別をつけることなく、そのまま列挙してゆく。かつて生じたことは歴史にとりなにひとつとして失われたものと諦められることはない、という真理をおのずと考慮に入れている。
テーゼⅢ、p.47
過ぎ去ったものを史的探究によってこれとはっきり捉えるとは、〈それがじっさいにあったとおりに〉認識することではない。危機の瞬間にひらめく想起をわがものにすることである。史的唯物論にとって重要なのは、危機の瞬間に史的探究の主体に思いかけず立ち現れる、そのような過去のイメージを確保することなのだ。
テーゼⅥ、pp.49-50
ベンヤミンは、「かつて生じたことは歴史にとりなにひとつとして失われたものと諦められることはない」という力強い言葉を真理として提示します。そしてこうした危機の瞬間にひらめく想起こそを自分のものにしなければならない、と呼びかけます。
私たちは、語り続けなければなりません。なぜなら、私たちは知っているからです。吉田寮が、決してそんな場所ではないということを。吉田寮は、もがき、苦しみ、楽しみ、必死に生きて、自分たちの居場所を自分たちで絶えず考えながら、作り変え続けられてきた場所です。実際、吉田寮自治会は、大学が話し合いに応じなくなったあとも、大学との約束を守るために暗中模索を繰り返してきました。約束を一方的に破られながらも、現棟からの一時的退去を含めた譲歩案を自治会側から提示したこともあります。少なくとも、外側にいる権力者に「不正常」や「不法占拠」などとされる謂れはありません。
吉田寮のいま(または記憶)を語り続けることは、私たちがこの場所を守るために必要なことであると同時に、私たちに課せられた責任であるようにも思います。もともと吉田寮自体、京都帝大のエリート学寮として作られ、支配に加担してきた場所であり、野蛮の記録と深く結びついています。当然、いまここに住んでいる私たちも、その特権を享受しているわけです。
また、吉田寮の記憶には、これまで各地で起こってきた自治寮と大学の戦いの歴史も刻まれています。ベンヤミンは、闘争の中で生き続ける精神について、以下のように述べています。
洗練された精神的なものは階級闘争において、勝利者の手中に帰する戦利品とイメージされるようなものではない。それらは自信、勇気、ユーモア、狡知、不屈として、階級闘争の中で生き生きと働いており、しかもさかのぼって遠い過去のうちにまで作用しているのである。それらはすでに支配者に与えられてしまった勝利のいずれをも、つねに新たに疑問に附してゆくことだろう。
テーゼⅣ、p.48
さまざまな闘争を通して得られた痛みと知恵は、吉田寮の中に確かに息づき、どこかで萌芽するときを待っています。その痛みと知恵を持つ者の語り自体が、現代の権力構造に対する疑問の提示になります。加害の歴史と闘争の歴史を引き継ぎ、その上に居場所を得た私たちには、吉田寮のことを語り、人に伝えていく責任があるのではないでしょうか。どんな言葉によって伝えるか、またどのように伝えるかということは、吉田寮のことを知るすべての人の一人一人に委ねられています。
ある人は、吉田寮のことを「時が降り積もる場所」と表現しました。吉田寮は、空間とそこに残された痕跡、人びとの独自の習わし、口頭で伝わっていく記憶……そういったものを介して、時間を育てながら続いていく場所であり、そこにあったことやいた人が、そこで流れた時間が、なかったことにならない場所だ、と言うのです。
私は、吉田寮は「境界が解けゆく場所」だと感じています。私的空間と公的空間、生活と労働、過去と現在、孤独と協業、寮生と寮外生、学生と社会人、若者と老人、日常と非日常、暮らしと祭り……現代社会の中では区別され、線を引かれ、枠にはめられたものが、渾然一体となっていく場所です。
このパンフレットを読んでいるあなたは、吉田寮をどんな言葉で表現するのでしょうか。そこで起こった出来事を、どのように他人に伝えるのでしょうか。〈支配者の言葉〉ではなく、実際に自分の目で見て、時間と空間を感じ取って、あなたの言葉で、人に伝えてほしいのです。だからぜひ、吉田寮にふらっと遊びに来てください。あなたの訪問を待っています。